2月14日 雪のち雨
朝読書と工藝論展開。
雪かきして倉庫から木屑と木端を運ぶ。イタチがお向かいさんから道路を横切ってうちの敷地ににやってくる。
9寸丸厚皿を作ってから、折敷の試作を途中まで。シンプルだが特注品のため、色々と悩みながらなので時間がかかる。
仕事をしているうちに寒気がしてきて、風邪をひく直前状態に。早めに仕事を切り上げて家でまた工藝論。「ヒトを含めた生物は自然からこぼれ落ちていると考えられる」ことと、僕が制作上大切にしてきた「三本柱」から出発して、新しい概念をいくつか導入しつつ、もはや工藝哲学と言えるような個人の考えには留まらない普遍的な議論になってきた。まだまだ深掘りできるので、しっかりと文章にして後日発信していきたい。今回は Medium や Substack なんかでも英語で発信することにした。
以前から、ものは使い込まれること(使われずとも愛されること)により、ものの中で作者と素材と使用者が一体になり、その一体になった状態が「美」=「自然」と考えていたことが一番のキーになっている。本当は何年も前にその考えに至った時に「美」や「自然」は一般的にそれらの言葉が意味するものと異なったものなので、違った言葉で新しい概念を導入するべきだったのだと思う。数ヶ月後に世に出るはずの原稿ではこれらの概念は「美」であり「自然」と表現されているが、これから深掘りしていく時点で、この2つにも別の名称を与えることになると思う。なので、僕が(というかものづくりが)目指すべきものは「美」や「自然」という言葉で表現できるものではないということになるはずだ(僕の頭の中ではすでにそうなっている)。
朝読書と工藝論展開。
雪かきして倉庫から木屑と木端を運ぶ。イタチがお向かいさんから道路を横切ってうちの敷地ににやってくる。
9寸丸厚皿を作ってから、折敷の試作を途中まで。シンプルだが特注品のため、色々と悩みながらなので時間がかかる。
仕事をしているうちに寒気がしてきて、風邪をひく直前状態に。早めに仕事を切り上げて家でまた工藝論。「ヒトを含めた生物は自然からこぼれ落ちていると考えられる」ことと、僕が制作上大切にしてきた「三本柱」から出発して、新しい概念をいくつか導入しつつ、もはや工藝哲学と言えるような個人の考えには留まらない普遍的な議論になってきた。まだまだ深掘りできるので、しっかりと文章にして後日発信していきたい。今回は Medium や Substack なんかでも英語で発信することにした。
以前から、ものは使い込まれること(使われずとも愛されること)により、ものの中で作者と素材と使用者が一体になり、その一体になった状態が「美」=「自然」と考えていたことが一番のキーになっている。本当は何年も前にその考えに至った時に「美」や「自然」は一般的にそれらの言葉が意味するものと異なったものなので、違った言葉で新しい概念を導入するべきだったのだと思う。数ヶ月後に世に出るはずの原稿ではこれらの概念は「美」であり「自然」と表現されているが、これから深掘りしていく時点で、この2つにも別の名称を与えることになると思う。なので、僕が(というかものづくりが)目指すべきものは「美」や「自然」という言葉で表現できるものではないということになるはずだ(僕の頭の中ではすでにそうなっている)。
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