11月16日 曇り
起床。前日に聴いた話を振り返る。
ヒナタノオトの稲垣早苗さんが新著『おばあちゃんの食器棚』をお送りくださったので拝読。食器と人の幸福な関係が温かい言葉で描かれていて心安らぐ。
早く代々木上原に着いてしまったので、FOOD FOR THOUGHT のすぐ近くにある BAKER Aoyagi にてパンとコーヒーをいただく。シナモンロールで満たされました。
作りたての作品を持ち込んで、外に出て写真を撮ろうとしていたら、坂本貴和子さんが旦那さんと一緒にやってきた。アーティストトークに参加してくれるそうでとても嬉しい。11時に開店。渡辺有子さんがご用意してくれたお茶と越乃雪をお楽しみいただきながら、僕の制作に関して、幼少時から現在までの体験を交えながら話す。最後の方で脳の話になった時に、坂本さんにご意見いただき、これがまた面白かった。脳の可塑性というのは本当に興味深い。みなさんゆっくり満遍なく作品をご覧くださり嬉しい。午後に小池くんも奥様といらしてくれたので、前日の話の続きを聞く。今度理研の研究室にお邪魔することを約束したので、訪問が楽しみ。
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2008年に作品制作を始めた時、作りたいものは「僕が欲しいもの、使いたいもの」ということだった。あとは学生の時に研究していた物質表面の原子や分子の配列の美しさを作品上になんとか表現したいと気持ち。
何年か後、岡山のくらしのギャラリーで石川昌浩さんと2人展をした時に、篠山の陶芸家である平山元康さんが栗で作った刳物の無骨な盆を購めてくださった。2年後くらいに平山家を訪ねた時にその盆を見て衝撃を受けた。それはすでに僕が作った盆ではなく、信じられないくらい力強さを増した「何か」だった。経年変化とはこういうものなのか。
少しあと、現在 We Are Atoms と呼んでいるシリーズの原型が誕生。進化を遂げながら今に至るのだけれど、単純に原子配列、分子配列の美しさを表現したいと思っていた当初の考えは、繰り返しの作品制作過程で「それぞれの違いよりも共通点を見つめ直すための装置であって欲しい」という概念に転移した。
その後、川越のうつわノートを訪問した際に店主の松本さんに古いスウェーデンの木鉢を譲っていただいた。それからスウェーデンの木製古物を集めるのだけれど、どれもこれもひとつの「もの」の中で「素材」「制作者」「使用者」の3者(本当は関わっている全てだけれど)が不可分の「何か」に変質しており、それこそが僕が考える「美」であることに気づいた。
昨年末からは顕微鏡で微生物の観察を始めた。小さな生き物の世界を観察することは「生物とは何か」「ヒトとは何か」「ヒトがものをつくるとは何か」というようなことに興味を向けてくれて、また新しい仕事へと導いてくれた。僕の仕事は結局、「すべてがひとつだった頃」へ向かう旅だったということに気づかせてくれた。
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閉店後は食事をしながら有子さんとスタッフの大木さんと色々会話。新しい気づきが多かったのだけれど、特に僕が考えている「ものを使い込んだ末に美に至る」の「使い込む」ことについて知見をいただいたのはありがたかった。僕自身も常日頃から「見る」ことも「使い込む」ことだと言っているのだけれど、自分の作品にそれを当てはめていなかった部分があったのだ。僕が作るものの中には、一般的な意味で「使う」ことができずに「見る」ものもあるのだけれど、これも愛着を持っていただければ最終的に「美に至る」ことができると気づけた(というか認識できた)ことは、有子さんと大木さんのおかげ。なんだか救われた気持ち。有子さんのレシピ考案についてのお話も興味が尽きず、参考になりました。
起床。前日に聴いた話を振り返る。
ヒナタノオトの稲垣早苗さんが新著『おばあちゃんの食器棚』をお送りくださったので拝読。食器と人の幸福な関係が温かい言葉で描かれていて心安らぐ。
早く代々木上原に着いてしまったので、FOOD FOR THOUGHT のすぐ近くにある BAKER Aoyagi にてパンとコーヒーをいただく。シナモンロールで満たされました。
作りたての作品を持ち込んで、外に出て写真を撮ろうとしていたら、坂本貴和子さんが旦那さんと一緒にやってきた。アーティストトークに参加してくれるそうでとても嬉しい。11時に開店。渡辺有子さんがご用意してくれたお茶と越乃雪をお楽しみいただきながら、僕の制作に関して、幼少時から現在までの体験を交えながら話す。最後の方で脳の話になった時に、坂本さんにご意見いただき、これがまた面白かった。脳の可塑性というのは本当に興味深い。みなさんゆっくり満遍なく作品をご覧くださり嬉しい。午後に小池くんも奥様といらしてくれたので、前日の話の続きを聞く。今度理研の研究室にお邪魔することを約束したので、訪問が楽しみ。
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2008年に作品制作を始めた時、作りたいものは「僕が欲しいもの、使いたいもの」ということだった。あとは学生の時に研究していた物質表面の原子や分子の配列の美しさを作品上になんとか表現したいと気持ち。
何年か後、岡山のくらしのギャラリーで石川昌浩さんと2人展をした時に、篠山の陶芸家である平山元康さんが栗で作った刳物の無骨な盆を購めてくださった。2年後くらいに平山家を訪ねた時にその盆を見て衝撃を受けた。それはすでに僕が作った盆ではなく、信じられないくらい力強さを増した「何か」だった。経年変化とはこういうものなのか。
少しあと、現在 We Are Atoms と呼んでいるシリーズの原型が誕生。進化を遂げながら今に至るのだけれど、単純に原子配列、分子配列の美しさを表現したいと思っていた当初の考えは、繰り返しの作品制作過程で「それぞれの違いよりも共通点を見つめ直すための装置であって欲しい」という概念に転移した。
その後、川越のうつわノートを訪問した際に店主の松本さんに古いスウェーデンの木鉢を譲っていただいた。それからスウェーデンの木製古物を集めるのだけれど、どれもこれもひとつの「もの」の中で「素材」「制作者」「使用者」の3者(本当は関わっている全てだけれど)が不可分の「何か」に変質しており、それこそが僕が考える「美」であることに気づいた。
昨年末からは顕微鏡で微生物の観察を始めた。小さな生き物の世界を観察することは「生物とは何か」「ヒトとは何か」「ヒトがものをつくるとは何か」というようなことに興味を向けてくれて、また新しい仕事へと導いてくれた。僕の仕事は結局、「すべてがひとつだった頃」へ向かう旅だったということに気づかせてくれた。
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閉店後は食事をしながら有子さんとスタッフの大木さんと色々会話。新しい気づきが多かったのだけれど、特に僕が考えている「ものを使い込んだ末に美に至る」の「使い込む」ことについて知見をいただいたのはありがたかった。僕自身も常日頃から「見る」ことも「使い込む」ことだと言っているのだけれど、自分の作品にそれを当てはめていなかった部分があったのだ。僕が作るものの中には、一般的な意味で「使う」ことができずに「見る」ものもあるのだけれど、これも愛着を持っていただければ最終的に「美に至る」ことができると気づけた(というか認識できた)ことは、有子さんと大木さんのおかげ。なんだか救われた気持ち。有子さんのレシピ考案についてのお話も興味が尽きず、参考になりました。
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